【そりゃできないわ…】どうやってもうまくいかない時に、1発解決する「ボタン」とは?
テクニック以前の話
MIXで一番つらいのは、
「どんなに頑張ってもうまくできないし、どうすればいいのかもわからない」
という、ドツボにはまった時です。僕は何度も経験しましたが、一度こうなってしまうと、本当に地獄です。
ですから、まずは
「ドツボにはまらない方法」
「ドツボから抜け出す方法」
を知っておかないと、
どんなテクニックを身につけていようがどうにもならなくなります。
そこで、今回は「僕が人生最大のドツボから、どうやって抜け出したのか?」という話をしたいと思います。
はじめは、「なぜこんな個人的な話を」と思うかもしれませんが、きちんと最後につながります。
なぜなら、MIXに限らず
「ドツボから抜け出す方法」というのは
どんな分野でも全く同じだからです。
「読み始めると、一気に読んでしまった」
という感想もたくさんいただいていますので、ぜひ読んでみてください。
ここからが、僕の物語です。
本気でわからない
僕は、中学の頃いじめられていた。クラスでも、部活でもだ。
理由は簡単で、当時の僕は
- 話が面白くない
- 自己顕示欲が強い
- 軽い気持ちで人を叩く
- 場の空気を読まずに、やりたいことだけをやり、やりたくないことはやらない
- 相手の気持ちを考えずに、すぐバカにする
- 責任を負おうとしない
- 気に入らないことがあると、みんなの前ですねる
という感じだった。
今こうやって書くと笑ってしまうが、簡単に言えば、小学生のまま中学生になってしまったのだ。一人っ子だったのもあったかもしれない。しかし、当時本当に困ったのは、なぜみんなが怒るのか、僕は本気でわからなかったことだ。
もし、誰かがそれを教えてくれたなら、はっきり言って、僕は何年もいじめられずに済んだと思う。
学校
僕は、ブラスバンド部に入っていた。1年の終わり頃から、自分勝手なところが災いして、浮き始めた。
2年生になると、僕は顧問主導でいじめられるようになった。ミーティングが開かれ、「おいみんな、今日のユーキの態度はどうやった?」と吊るし上げられた。みんなから、白い目で見られているのを、僕は360度感じた。僕は、「じゃあどうしたらいいのか」を教えて欲しかった。しかし、言われることは「考えろ」「周りを見ろ」だけだった。「考えても、周りを見てもわからへんから、こんなことになっとるんやろ…」と思った。
ある真冬の朝、朝練の時間に、顧問に呼び出され、部室に立たされたまま50分近く説教を受けた。確かに、遅刻した僕が悪かった。しかし、僕はだんだん貧血で吐き気がしてきて、話の途中に勇気を振り絞って「気分が悪いです」と訴えた。すると、「じゃあ寝ろ」と、その場でコンクリートの床の上に寝かされた。
説教は続いた。コンクリートの床は冷たく、どんどん体温が奪われていくのがわかった。僕は、震えが止まらなくなり、ガチガチと歯が鳴った。「すいません、寒いです」と言うと、太ってこんもりとジャンパーを着ている顧問に「俺だって寒いわ!」と言われた。
そのまま、他の部員が出入りする前で、僕は震えながら、寝たまま説教を受けるという、最高に恥ずかしい状態になっていた。僕は、「ああ、またみんなの前で、恥ずかしいことをさせられている」と思った。
20分近くが経ち、授業が始まる時間になった。「俺の言いたいことはわかったか」と顧問が言うので、僕は自分を殺して、オウム返しのように「みんなのことを、もっとかんがえるのが、たいせつだとわかりました」と言った。すると、顧問は「わかったようやな」とニンマリした顔で言って、帰って行った。
僕は、本当にわからなかった。自分のどこがいけないのか。どうしたらいいのか。嫌われたくなかった。1秒でも早くこの地獄から抜け出したいと思ったが、自分ではどうにもできなかった。
さらに、今はありがたいことになんともないが当時はアトピーで、それがストレスのせいか、腰からお尻にかけてすごい範囲に広がっていった。毎日下着が血だらけになり、一歩歩くだけで激痛が走った。授業が終わると、血まみれの下着が患部に張り付き、立つとそれが「ベリッ」と剥がれて、死ぬほど痛かった。
お風呂に入ると、ギャッと叫びたくなるような激痛がして、それでも耐えていると、やがてその感覚が麻痺していくのを知った。親には、恥ずかしくて隠していた。
両親は、今でこそそんなことなないが、その頃は夫婦仲が悪く、朝から怒鳴り合いの喧嘩をしていた。
僕はそれを見て、泣きながら登校した。
アトピーの激痛に耐えて、いびつな歩き方で歩いた。
朝の6時50分から、部活の朝練が始まる。
行ったら行ったで、僕はみんなから嫌われている。
顧問のおっさんは太っている。
太っているので、オーケストラのように生徒が並んだ音楽室では、指揮台に到達できない。だから、座っている生徒を、ゴミのように乱暴に押しのけて通った。
腰が痛いと言う女子生徒を床に寝かせて、「揉んでやる」と言いながら、後ろから馬乗りになり、体を触った。部活全体が宗教のようで、誰も口ごたえできなかった。本当に異様だった。
クラスでは、休み時間に2人の女子が、僕の机に修正ペンで落書きをしていった。僕の知らない、僕のあだ名が書かれていた。授業が始まると、落書きに気付いた僕を見て、コソコソ笑っていた。僕は、平気なふりをして、定規で落書きを削った。
バカどもめ。お前らは俺の凄さがわからへんのや。お前らは虫ケラや。俺は特別なんや。お前らとは違うんや。すごすぎて、お前らには理解できひんのや…。
そうでも思わないと、僕は自分を保てなかった。毎日、「理解者が欲しい」と、人のいないところで声を出してつぶやいていた。
唯一、やさしくしてくれる存在がいた。それは、通学路にある信号だ。その信号だけは、僕が近づくと、いつも青になってくれた。僕は「お前だけは仲間やな」と言って、学校に登校した。
台所
3年生の夏、夕方に、僕は両親のいない自宅で台所にいた。戸棚を開けて包丁を出し、自分の胸に向けて両手で持ってみた。
このまま刺し込んだら、楽になるのだろうか。みんなは、僕がいなくなってせいせいするのだろうか。やっぱり、金属だから冷たいのだろうか。痛いのだろうか。
そういうことを、そのまま10分ぐらい考えた。ただ、ある瞬間「ん?」と思った。
「待てよ?いま苦しんでるのは俺やんな?苦しいのは俺やのに、なんでその俺が死ななあかんのや?え?逆じゃない?一番しんどいのに、なんでさらに死ななあかんの??逆や逆や、やるべきことはそうじゃない、逆や」
そう思うと、なんだか急に力が湧いてきた。
「そうや、逆や。
やるべきことは、死ぬことじゃない。
あいつらに負けへんことや。
これじゃ、あまりに自分がかわいそすぎる。
苦しんだ分、俺は幸せになるべきや。
負けへんぞ俺は。
今にあいつら全員アッと言わせたる。
耐えたる。
何が何でも耐え抜いてやる。
今を耐えたら、
絶対に幸せな未来が待ってるんや。
絶対に幸せになってやる。
必ずその日が来るんや。
見てろよ、あいつら全員見てろよ……」
そう思うと、僕は包丁を戻した。
その日から、僕は別人のようになった。
誰よりも、とまではいかないが、他の部員よりも、熱心に部活に取り組むようになった。自由参加の練習にも参加し、休日もつぶし、わからないなりにも、なんとかみんなの役に立とうと必死に頑張った。
見返したかった。
僕を嫌いになってほしくなかった。
誰一人、仲間と思えるやつはいなかったけれど、とにかく耐えるだけ耐える、生きるだけ生きる、それが目標だった。
変化
3年生の冬休み、あるとき部活のミーティングで発言すると、
「いいこと言うやん…」
と同級生のKさんに言われた。今でも、その顔を憶えている。声も覚えている。僕は嬉しかった。
そして、年が開けると、今まで話しかけてくることもなかったHさんが、
「なあ、ビブラートってどうやるん?」
と、わざわざ僕の所まで来て尋ねてくれた。僕は、頭が真っ白になるほど嬉しかった。どうせ、まだ嫌われている。まだ嫌われているだろうけど、それでも、演奏だけは認めてもらえたような気がして、嬉しかった。舞い上がってしまって、なんと答えたのか覚えていない。どうせ、変なことを言ったに違いない。もっと、丁寧に教えてあげればよかった。
卒業間近になると、部活では犬猿の仲だった、同学年の男子であるUくんと話すようになった。バンドや、作曲の話で盛り上がった。
「じゃあ、今日、俺の家来いや」
と言うので、僕は遊びに行くことになった。不思議な感じだった。
部屋に入ると、ギターや、アンプや、見たこともないエフェクターが置いてあった。かっこいいな、と思った。
部活の話になり、僕が勇気を出して「部活って、なんか宗教みたいやんな」と言うと、なんとUくんも
「ほんまそうやんな…」
と低い声で言った。
僕は心底驚いた。だって、Uくんは部長で、常に顧問のおっさんのそばにいて、みんなを仕切っていたからだ。
この時、
「ああ、しんどいのは僕だけじゃなかったのか…」
と思った。
本当は、みんなも内心おかしいと思いながら、苦しんでいたかもしれないのだ。
卒業
その後のことは、よく覚えていない。必死に頑張っているまま、僕は卒業した。
卒業式の日、なぜか後輩たちは、みんな僕を慕ってくれていた。そして、副顧問だった国語のおばあちゃん先生が、最後に僕に話しかけてきた。
「あんた、夏の暑い日も、みんなに校舎に置いてきぼりにされてたのに、それでも一人でずっと頑張っていたねぇ。
一人やのに、よく頑張っていたねぇ。」
と言われた。
僕は、この先生がそんなことを思ってくれていたなんて、全く知らなかった。あまり部活に来なかったし、授業では、どちらかと言うと嫌いだった。
だけど、この先生の言葉が、
僕は中学で一番心に残った。
別に、みんなは僕にいじわるをしたかったわけではない。今ならわかる。単に、余裕のない中学生の子供たちが、いびつな環境で、必死に部活をやっていただけなのだ。そこに、空気を読まない小学生みたいなのが混じっていたから、みんなイラッとしたのだろう。
冷静に思い返すと、顧問も朝の6:30から校舎を開けて朝練をし、20:30まで部活をし、そこから授業の準備をして、遅くに帰っていたはずだ。問題はあったけど、熱心だったなとは思う。実際、部活自体は楽しかった。合奏でみんなと一体になる体験は、鳥肌が立つほど素晴らしかった。
結局、みんな幼かったのだ。幼い人たちが、毎日必死で生きていた。それだけのことだ。
僕はまた、同級生や先生と会いたい。
当時を懐かしんで、色んな話をしたい。
だけど、僕は今まで
同窓会に呼ばれたこともなければ、
同窓会があったかどうかも知らないもし、
僕だけが呼ばれていないとしても、
それは仕方がない。
できるなら、
当時のことを謝りたいし、
もう一度ちゃんと話をしてみたい。
だけど、もう終わってしまったのだから、
仕方ない。
僕は別のところで努力すべきだ。
例えば、この文章を書くことみたいに。
原因
高校での部活は、みんなで放課後にワイワイ歩いて、お菓子を買いに行くような部活だった。中学とは、正反対だった。僕は、
「ここならうまくやっていける…」
と思った。
しかし、残念なことに、
僕は高校でも浮くようになった。
当たり前だ。
中学を出たからといって、僕の言動が変わったわけではない。原因がわからない限り、同じことはまた起こる。
結局、高校の部活でも、僕はミーティング中にみんなの前でわめき、場をしらけさせてしまった。もう、自分がおかしいのはわかっていた。しかし、どうしたらいいのかがわからなかった。誰か助けて欲しかった。こんな子供じみた自分に、嫌気が差した。中学で、あれだけ死ぬ気で頑張ったのに、僕は何も変わっていなかった。
そう思った時、
「どんなに根性だけで頑張っても、何も解決せえへんのやな…」
と思った。
転機
しかし、この時、僕の人生を変える出会いがあった。1つ上の先輩、ショウゴさん(仮名)だ。
1年生の冬休み、部内でトラブルを繰り返す僕を見て、ショウゴさんはこう言った。
「いいか、
俺はお前のことを嫌いとかじゃない。
でもな、お前の話はおもんないし、
みんなをイラッとさせてるんや。
それはな、多分お前が
『相手の気持ちをわかってないから』や。
だって、相手の気持ちがわかるなら、
おもんない話をダラダラしたり
せえへんからな。
だからな、お前はまず、
人の気持ちを考えろ。
そして、その練習として、
相手の話をよく聞け。
聞いていれば、気持ちがわかるし、
話し方の勉強にもなるはずや。
『聞き上手は、話し上手』って言うやろ?
な、だから、騙されたと思って、
まずは話を聞いてみろ…」
僕は、直感的に、これは大切な瞬間だと思った。僕は、こういうことをずっと教えてもらいたかった。
ショウゴさんにとって、これはどれだけ労力のかかることだろうか。こんな風に、きちんと言葉を尽くしてくれる人が、世の中にどれだけいるだろうか。
この時から、僕は、「とにかく人の話を聞いてみよう」と思った。
ただの言葉
2年の夏になると、クラスの男子で何人か集まって、よく話すようになった。
弁当を一緒に食べ、こっそりお菓子を食べ、隠れてポーカーをした。負けたら、授業中にやたら熱心に手を上げて質問をするという罰ゲームをした。
友達が無意味な質問をしまくっている間、僕たちは必死に笑いをこらえた。
楽しかった。
なんとなく、
日常が変わってきたのを感じた。
冬になると、僕は、自分が「今、何を言えばみんなが笑うのか」が、だんだんとわかってきた。そうすると、不思議なことに、普通にしているだけで「変なやつやな〜!」とおもしろがられた。
今までは話したこともないタイプの男子とも、話すことが増えた。1人、また1人と、友達が増えていくようになった。
3年になると、
「ここだ!」
と思う瞬間に、
人を笑わせることができるようになった。
「ユーキは面白い」と、部活で評判ができた。
「僕は、嫌われていない。」
「僕は、人を笑わせられる。」
そう思うと、今まで人前でビクビクしていたのがなくなり、自分に自信がついた。
気がつけば、
僕は、
もう独りではなくなっていた。
「ショウゴさんの言ったことは、本当だった」
と思った。
結局、僕をドツボから救ってくれたのは、
根性でも、努力でもない、
「ただの言葉」だった。
それも、
高校2年生の男子が言った言葉だ。
それでも、僕の人生は変わった。
信じられないくらい変わった。
僕は、「知識というのは恐ろしい」と思った。だって、ただ「人の話を聞く」、それを知らなかったら、僕はいまだにあの地獄の中にいたはずだからだ。
トランクのボタン
ちょっとした知識が、
人生をひっくり返してしまう。
僕は、この経験から、
「自分ではどうにもならないドツボ」
から抜け出すには「知識」が必要なのだとわかった。
僕の好きなアメリカの心理学者の本がある。
彼のお父さんは、殺されている。乗せてあげたヒッチハイクが強盗で、炎天下にトランクに閉じ込められて亡くなった。
しかし、後で検証してみると、
トランクの中からうまく手を伸ばせば
なんと自分でボタンを押して外に出られた、
ということがわかった。
つまり、これさえ知っていれば、お父さんは死なずに済んだのだ。
このことから、その心理学者は、
「自分の仕事は、困っている人に対して『ボタンの位置』を教えてあげること」
と考えるようになった。
まさに、これが
「ドツボから抜け出す知識」
だと思う。
僕に限らず、人は、自分が「ドツボ」つまり「トランク」の中にいては、もう自分ではどうしようもできない。
そんな時は、ショウゴさんのように、言葉を尽くして「出てくるための情報を教えてあげる」必要があるのだ。
僕は、恐れ多くもそれをやりたい。
いじめでも、心理学でも、
MIXでもスポーツでも、
全ては同じことだ。
ドツボとはどういう状況か?
そこから出るには何が必要か?
必要なのは、ただの「知識」だ。
抜け出すためには、
トランクのボタンを押す必要がある。
僕は、MIXで本当にしんどい思いをした。だから、どこでドツボにはまりやすいか、どうすればそこにはまらずに済むか、ということは、控え目に言っても、かなり知っている方だ。だから、こうして情報発信を始めた。
僕の持っている情報が、
少しでもその役に立てば、と思っている。
E.L.V.N ユーキ
僕は、基本的にインサート1つだけでMIXをしています。それも、DAW付属の「オマケみたいなチャンネルストリップ」だけです。
MIXにかかる時間は最短4時間くらい、
オーディオIFは使わないこともあるし、
最悪iPhoneのイヤホンだけで
MIXすることすらあります。
実際のMIX画面を見てもらえば、様子がわかると思います↓
(1分もありません)
「ほんまかいな」ですよね。
ほんまかいなでしょうが、まずは
こういう世界もあるということを
知っておいて欲しいのです。
(詳しい説明は、このページに書いています)
「いや、お前には才能があったんだろ?」
とも言われます。しかし、
僕は「これは誰でもできる」と確信しています。
(実際に、僕が教えた人もできるようになりました。さっきのページに、教えた人たちの音源も載せています)
むしろ、僕は才能があったわけでも
初めからうまくいったわけでもなく、
MIXに関しては
誰よりも苦しんで、誰よりも失敗した
自信があります。
作曲に憧れた15歳、
就職してしまった20代、
音楽で生きる決意をして
仕事を辞めた28歳。
そこからは、正直地獄でした。僕は、MIXができなかったせいで、その後8年間を棒に振りました。
自分の音が安っぽい。
でも、いくら勉強してもわからない。
なんとかしたくて、機材に合計600万円もつぎ込みました。しかし、それでもMIXはできるようにはなりませんでした。
仕事もなく、お金もなく、
毎日家にこもって作業をし、
不安でおかしくなりそうでした。
思い出すだけでもしんどいです。
でも、そんな僕でも、
今では驚異的な速度で
MIXができるようになりました。
そして、とうとう15歳の時の夢が
現実になりました。
好きな音楽が仕事になる。
毎日、ストレスも不安もない。
自分のやりたいようにやれば、
みんなが喜んでくれる。
こんなにワクワクする人生はありません。
なぜ、MIXができるようになったのか?
それは、
高価なプラグインを買ったからでもなく、
闇雲に努力したからでもなく、
単純に
「効率の良いやり方を知ったから」
でした。
一体どういうことか?
詳しくは、僕が「知識だけで」自由にMIXができるようになるまでの過程を、下の記事で公開しています。
(MIXに関する無料メルマガもこちら↓)
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まだこれをやってる人がたくさんいてびっくりします。
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全インサートがたった1つに!Studio Oneの超絶プラグイン「Channel Strip」のバグと対処法
全トラックこれでまかなえる、Studio One付属の「Channel Strip」。そのバグと解決法です。Studio Oneユーザーは必見中の必見。
MIXで600万円と8年を失った僕が伝えたい「9割の人がハマるドツボのパターン」とは?
MIXの「ドツボパターン」を全部やらかした僕だから言える「知らないとヤバい」実体験を、ありのままに書きました。どうか僕と同じ失敗をしないで下さい。